プラトン著『国家』 正義について7 (善のイデア)

ソクラテス(プラトン著)

個人の正義と不正について

結論として、個人の正義とは、個人の内に存在する魂の構成要素である3つの部分(理知的な部分・気概的な部分・欲望的な部分)が、それぞれ自然本来の性質に従って自己の役割を果たすこととなった。では、各々の自己本来の役割とは何なのか。

理知的部分:真実に目を向け魂全体が健全あることに配慮する、本来魂を支配すべき部分。
気概的な部分:支配すべき部分(理知的な部分)に従い、その助力者となるべき部分。
非理知的な部分:支配者の意見に聴従し、支配されるべき部分。

これは国家における支配者(金)それ以外の守護者(銀)一般大衆(銅や鉄)に対応している。

これが、国家においても個人においても善く治められている自然本来の在り方であるといいます。そして、幼い時の教育・養育によって理知的部分気概的な部分を自然本来のかたちで十分に育み立派にした上で、この2つの部分によって欲望的な部分を慎重に監督指導しなければならない。

苦痛や快楽の中にいても、自己本来の気概によって理知的な部分の指示することを守り通す「勇気」、自分の事だけではなく魂全体の事をいつも配慮し、何が本当に利益になるのかを考える「知恵」、各々が自分のことを知り、支配すべき部分に支配されることが、全体としても個人としても最善なんだという考えを一致させ、協和・調和を作り出す「節制」。

これらの徳を生み出すためには、「正義」によって、魂の3つの部分がそれぞれ余計な手出しをせず、自己本来の性質に従うことが必要であり、これらの秩序が崩れることが「不正」であり、欲望的な部分が理知的な部分を支配したり、気概的な部分が欲望的な部分に加担したりするなどして、自分と不調和な人間になることが「個人の不正」がもたらすことであるといいます。

哲学者について

             

     知識         思惑        無知
   在るもの・真実      有るもの無いものの中間のもの     無いもの・虚実 

映画や漫画、小説などの芸術の美しさに触れる時を考えてみると、普通の人や愛好家と呼ばれる人は美しさそのものではなく、美しさの一部に触れて楽しんでいる。一方哲学者は、美しさの一部に触れることによって、美しさそのもの(在るもの)とは何なのかを考えて楽しんでいる。

つまり哲学者は知識によって芸術を楽しみ、その他の人々は思惑によって芸術を楽しむといえます。哲学者とはある時には現れてある時には消えてしまう思惑ではなく、不動に存在する知識、真実をいつも追い求める者であり、これが哲学者と呼ばれるにふさわしい人であるということでした。

善の相(イデア)

善の相(イデア)は人間が学ぶべき最大のものであるとソクラテスはいいます。

視覚は感覚の中でも特別なものであるといいます。視覚においては、見るもの・見られるものがあり、それが見られるためには「」の存在が必要不可欠になる。「」がなければ働かない感覚というのは特別なものなのではないかといい、「」によって認識機能をもつ物体である「」は自然界で「」を生み出す太陽を認識しているともいえるので「」は太陽と似た性質のものであり、だからこそ太陽によって生み出された「」を認識できる。

この世は、視覚によって見られるものと、思惟によって知られるものがあり、前者は「」、自然界におけるそれは「太陽の働きによるもの」によってであり、後者はイデアであるといいます。

そして、太陽はこの地に存在する様々なものを育み有益さをもたらしている、善の相(イデア)もこれと同じように、そしてこれよりも遥かに多くの様々なものに有益さをもたらす存在であり、それらを育んでいる(正義のイデア、美のイデアなど)といいます。
つまり、この実存界に存在する太陽イデア界に存在するは似ているのではないかということ、そして「太陽善のイデアの子供のようなもの」なのではないかといいます。

太陽生成・消滅に関するもの(植物、肉体など)を育み、善のイデア永遠のものであるイデアを育むものである。そして、太陽肉体による認識機能(視覚)認識対象物(光に照らされたもの)を提供し、善のイデアは(実存的でない、実体のない)魂と同族のものである知性とその認識対象物(イデア、真理性(真実))を提供しているといいます。

各々(太陽善のイデア)は、実存界イデア界における認識機能と真理性を提供しているものであり、太陽善のイデアの関係のように、実存界イデア界の子供のようなものであり、イデア界に存在するものの方が実存界に存在するものよりも、遥かにあらゆる面で超越しているといいます。

以下に真実性の順序をまとめます(4に近づくほど真実性が高い)。

1,可視界(目に見える世界)における虚像、似像(水や鏡に映る像、影など)

2,可視界(目に見える世界)における原像、実像(実存そのもの)

3,可知界(目に見えない世界)における虚像、似像(思惑)、(2を用いて探求される)

4,可知界(目に見えない世界)における原像、実像(知識、イデア、真理(真実))、(それ自体として探求することしか不可能であり他の4との関係性や1・2・3を駆使して吟味する)

コメント

タイトルとURLをコピーしました