支配者になるべき人
ポイ二ケ(フェニキア)という地方に伝わる物語を持ち出してソクラテスは言います。
人は生まれながらに優劣があり、神は統治すべき能力のある人には金を、その補佐に当たる人には銀を、それ以外の人々には銅や鉄を混ぜ合わせたのであるといいます。
守護者の中で特に徳の具えた人は金を混ぜ合わされた人であり、それ以外の人々は銀を混ぜ合わされた人である。
そして国家を統治すべき支配者とは、金の人の中でも最も年長の人であり、徳の面でも経験の面でも最も有能でなければならない。
では、この守護者や支配者になるべき人々はどのように探せばよいのか。国家を守護するという最も重要なことに最も適した人とはどのような人なのか。
それは、国家を守るための知恵や能力を持ち、そして何よりも国家の事を気遣う人でなければならず、どんな状況においても国家において最善の事をなすべきだという考えを捨てない人であるといいます。
人が、自分の中にある考えを自ら捨てる、あるいは意に反して捨てる条件は3つあるといいます。
1、盗まれる時。
2、強いられた時。
3、たぶらかされた時。
1は言葉や行為などで説得される時・時間の経過によって忘れる時、2は痛い目や苦しい目にあった時、3快楽や恐怖を与えられた時。
そして幼いころから、こういた状況の中に置かれていても、教育や養育によって培われてきた善いリズムや調和、規範を、優れた品性によって捨てずに保持し続けられる人々。
このような人々が、神から金や銀を授けられた人であり、国を守護する任に適した徳を具える人であるとソクラテスはいいます。
そして、金や銀を持つ人々の間から銅や鉄を持つ子供が生まれてくる場合もあるし、銅や鉄を持つ人々たちから金や銀を持つ子供たちが生まれてくる場合もある。
これをしっかりと監視していなければならないし、銅や鉄を持つ人々が国家の守護者や支配者となった時、その国家は滅びるとこの物語を通してソクラテスはいいます。
守護者の生活
何よりも恐ろしいのは、国家を気遣うべき守護者が悪い習慣のために国家に牙をむいたときであり、それを防ぐためには、守護者の住居や所有物、あるいはその他優れた守護者であることを妨げないような生活法を国家の守護者には要請し、何より自らの国家に悪事を働かないようにしなければならない。
そのため、以下の3つの生活法を守護者たちにはさせるべきだといいます。
1、私有財産を持ってはならない。
2、過不足無いだけの暮らしの糧で生活をする。
3、共同生活・共同食事をする。
こういった生活を送ることにより、悪い生活習慣によって神から与えられた高貴な金や銀をこの世に存在する汚れた金や銀で汚してはならない。
様々な不敬虔な罪をめぐって地上の金や銀及び貨幣は存在してきた側面もあるため、それらを身に着けたりそれらの器で食べたり飲んだり、あるいはその他の行為によって神的であり純粋、自足的な金や銀を汚す行為は自分たちにとっても悪い事であるといいます。
そして、これらの世俗的なことに快楽を見出してしまい私有財産に守護者が気を遣い始めた時、国家の守護者であるはずの守護者は、国家を守ることを止め私有財産の守護者となり、国民を欺き憎み憎まれる。
この状態に陥った国家は滅びの寸前までひた走っているとソクラテスはいいます。
国家全体の利益のために
ここで一つの疑問をアデイマントスが投げかけます。
「これでは、守護者が全く幸福ではないじゃないか。」
しかし、ソクラテスは言います。
僕たちは、ある一部の人たちが幸せな国家ではなく、国家全体が幸せな国家を見出し、その国家にこそ最もよく正義が見出せると考えている。
そして、本当に国家の守護者であるべき人間なら、国家の幸福が何よりも自分たちの幸福でなければならない。
守護者だけでなく、その他の人たちまで私有財産に何よりも興味や関心を持ち始めた時、農夫は農夫で無くなり、陶工は陶工でなくなり、その他の人々もこのような有様になる。
しかし、国家を守る守護者がこのような有様になった時、国家は滅びへの道を進み、その反対になった時、善く治められた幸福な国家となる。
国家の一人ひとりが、自然本来の性質に適した仕事を一人ひとり真面目に行い、自分の財産の事ではなく、自分の自然本来の素質に目を向けそれぞれの専門家になること、そして国家、国民のことを最善に考えることを止めない最も徳の具えた支配者が1つの国家を統治したとき、この国家は真実の1つの国家となり、全体として幸福な国家となるとソクラテスはいいます。
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