プラトン著『国家』 正義について4 (守護者の教育について)

ソクラテス(プラトン著)

守護者の教育について(音楽・文芸での養育)

幼いときはとてもやわらかく最も重要な規範が自分の中で形作られる時期でもあるため、この時に両親や兄弟、友達を大事にすることやその他さまざまな善い美しい価値観を心の中に植えつけ養育しなければならない。

そしてこの幼少期には、音楽・文芸での養育が必要であり、これらの表現に使われる言葉には、現実(リアル)で伝えるものと、作りごと(フィクション)で伝えるものがある。幼少の時には物語(フィクション)によって語り聞かせるのがふさわしく、この物語によって立派な規範を形作るのが適切であるといいます。

では、どのような物語を語り聞かせるのがいいのか。

それは、神を絶対的な善とする物語だとソクラテスは言い、ヘシオドスやホメロスといったこの時代の偉大な詩人が作るような神や英雄が卑屈さや愚かさを持つような物語をたとえそれが本当だったとしても、幼少の最も重要な価値観が形成されるときに聞かせるべきでないと言います。

そして、優れたものは他のものによる変化を受けにくいと言われるように、絶対的な善や美しさを持つ神はあらゆるものの「」の原因であり、争ったり何かを望むことは有り得ず、自分自身で全てを完結していて常に単一の在り方をし、変化を受けつけない。
なぜなら、絶対的な善の原因である神は絶対的であるがゆえに、争いによって何かを欲しがることは自分よりも劣ったものを欲しがることであり、全ての善いものを持つ神は別の何かの原因による善を望むなんてことはありえないため、という風に信じ込ませるべきである。

よって、幼少期にはこのように絶対的な善を大切にする規範を形作れるような物語を語り聞かせなければならない。そして、それらの規範が堅固に形作られたなら、その時に初めて様々な物語あるいは物語以外の音楽や文芸に触れさせるのがよいといいます。

また、守護者になるべき人には死を恐れない勇気も必要であり、死よりも隷属を遥かに恐れる自由な人でなければならないし、節制を心がけ自分自身に起こる様々な欲求の支配者でなければならない。そして何よりも国家のことを最善に考える人でなければならない。このような規範も物語を通して伝えなければならないし、これ以外の物語は幼少期には聞かせるべきではない。

以上が語り聞かせるべき物語の内容です。

また、物語の適切な語り方には、単純に(自分自身で)描く場合何かになりきって(真似によって)描く場合と、この両方を用いて描く場合がある。しかし、一人の人間が多くの人を真似ることは面白いことかもしれないが、この「真実の国家」が示す規範である「常に単一の在り方をし、変化をなるべく退け善に対して不動の在り方をする」ためには、多くのものを真似して描く物語ではなく、常に不変(絶対的)な善を単一・単純に描く面白くない物語を「真実の国家」は採用しなければならない。
よって、語り方としては善に関する単純な叙述を一人の人間として語らなければならない。

そして音楽での養育に関しても、美しいリズムや音階、歌詞を持つものを聞かせるべきであり、これと調和するような美しい品性を形作るための音楽のみを聴かせなければならない。

こうして、美しい音楽や文芸の影響を視覚や聴覚に受け取り、それらのものと調和するよう規範や品性を形作り、立派な人間へと成長させる。そうすれば、自らの規範や品性により醜いものや卑屈なものや怠惰なものを嫌悪し、美しく立派なもののみを受け入れるようになり、その反対のものは退けられるようになる。

音楽・文芸、今でいう学問あるいはサブカルチャーというものは本来はこういった機能を果たすべきものなのだとソクラテスはいいます。

守護者の教育について(体育での養育)

なぜ、音楽・文芸から先に手を付けるべきなのか。

それは身体というものは魂によって善くも悪くなるものであり、優れた身体が優れた魂を作るのではなく、美しい品性や規範をもつ魂によって魂自信が身体を優れたものにするのであり、こういった順序を人間は自然本来踏むものだからだといいます。

そして守護者は戦地の過酷な状況において耐え忍ぶ必要があり、この中でも健康を保っていなければならない。多様さは魂において放埓を生み、身体においては病気を生む、一方単純さは魂において節度を生み、身体においては健康を生む

そして単純な生活法によって、人々は多くの病気から身を守ることができる。

実際善く治められている「真実の国家」には、単純で立派な品性を持つ人が多く、そのため節度を守った食事やその他の生活法を守るため余計な病気が少なく、善く美しい品性を具えた人が多く美しい友愛や家族愛で溢れているため犯罪もそれだけ少ない。しかし、「欲で膨れ上がった国家」には、多様なものを好む人が多く、そのため節度は崩れ多様で過剰な食事をとるため見たこともない多くの種類の病気が蔓延し、節度を保てなくなった人々の精神は不安定で軟弱になり、真実ではない嘘が蔓延し、結果乱れた国家には犯罪は多くなる。

よって体育とは、美しい品性によって単純な食事やその他の生活を心がけ、身体の鍛錬においては恐怖に恐れず立ち向かえるような気概的なものを育むために行うべきだ。

そして、体育は身体のため、音楽・文芸は魂のために行うのではなく、体育音楽・文芸どちらも魂に目を向けて行うのがふさわしく体育のみに目を向けてきた者は気概的な面は育っているが、教養が無いため頑固で粗暴で荒々しくなってしまう。また、音楽・文芸にのみ勤しんできた者は知恵を持ち美しい規範や品性を持っていて温和ではあるが、軟弱で弱弱しい。

では、最も守護者にふさわしいのは、体育によって培われた節制による忍耐力恐怖を恐れない気概を持ち、また音楽・文芸による教養もあるため気概を持つべき状況以外は温和で規範も行動も美しい者。

こういった、体育音楽・文芸に上手く調和した人間を守護者として立派に育てなければならないという結論に至りました。

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