マックス・ウェーバー

既に「鉄の檻」に囚われている

「鉄の檻」この言葉は、マックス・ウェーバーの著作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で語られた、近代社会を生きる僕たちに関係します。生きる力が湧かない日々と安全・便利・快適な毎日、この肯定も否定もできないような日常「鉄の檻」に僕たちは囚われている。
人生

自分の外の感動

生きるとは素晴らしいことだと、ふと思わせてくれる「感動」。この情動を味わいたくて、日々試行錯誤している。
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (決断) 

人間は「退屈」する、それは自由である証である、「決断」によって自由を発揮せよ。これが、ハイデガーがいうことでした。
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (環世界) 

ヤーコプ・フォン・ユクスキュルという人の「環世界」の概念が紹介される。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、19世紀末から20世紀初頭に活躍したドイツの生物学者・哲学者です
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (退屈とは何か?)

「そもそも退屈とは何なのか。」退屈論の最高峰といわれる、ハイデガーの「形而上学の根本諸概念」が紹介され、考察が始められる。
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (消費社会、疎外)

これらの定義を基に、以下に「消費社会」について書いていきます。なぜモデルチェンジを容認してしまうのか。我々は消費する「モデルそのもの」を見ていない、「モデルチェンジ」という記号のみを見てその記号を消費しているといいます。
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (経済学的視点で考える)

・「暇」:客観的な条件。自由な時間がある。・「退屈」:主観的な状態。つまらない。
人生

國分巧一朗著 『暇と退屈の倫理学』 (気晴らし、退屈の解決策、定住化)

「暇」や「退屈」について。これらのことを深く考えることはとても面白いと思います。「倫理学」とは、「生き方」を探求する学問であり、暇や退屈との向き合い方について考えさせられる本です。
人生

パラドックスのその先

この世に「答え」が明確に存在していたら、芸術なんていらないだろう。でも、「答え」が存在しなかったら、人は不安でたまらないと思う。「答え」の在る安心感と、「答え」の無い自由さ。人は所詮、その間を行き来して人生を終えるのだろう。幸せと不幸を味わ...
人生

零の世界

とても心地のよい世界へ舞い降りた。此処へ初めて訪れる人、たびたび訪れる人、もう来飽きた人、若い人から年長者まで。小難しさから解放された世界、または小難しさへ没入する世界、何が本当で何が嘘か、そういったものを小馬鹿にして全てを受け入れ消し去る...