為すべき学問
結論から言うと為すべき学問とは「数学」であり、知性のみを使って真実にたどり着こうとする学問は哲学者の素養にとても適しており、数はイデアと性質が似ており(目に見えない、知性のみで探求する)、生成消滅のもの(思惑、肉体など)ではなく永遠不滅のもの(真実、魂など)に分類される。
ソクラテスは、数学を「魂を上へ向けかえるために必要な学問」だと言っており、ソクラテスが使う「上」は高貴な意味を含んでいて、魂が上に向いている状態とは永遠不滅のもの(真実在)を見ている時だといいます。
この著作では、数について学んだ後に順を追って幾何学(平面)、天文学(立体+運動(時間))をやるべきだと言っているのですが、端的に言うと1次元(点・直線)、2次元(平面)、3次元(立体)、4次元(立体+運動(時間))の順にやるべきだということです。
そしてこれらの学問は線や図形の性質、立体やその運動の性質を理解することで満足するのではなくそのさらに先のもの、最終目的は善のイデアに到達することであり、このことをいつも念頭に置いていなければ全ては無意味だとソクラテスはいいます。
国家制度と個人
ソクラテス曰く国家制度には優劣があり、順位は以下のようになるといいます。
1、優秀者(王者)支配制
2、名誉支配制
3、寡頭制(財産、富裕者支配制)
4、民主制
5、僭主独裁制
1が最も優れた国制であり5に向かうにつれ劣った国制になっていくと。
ではそれぞれはどのような国制でありその国制の中の個人はどのように変化していくのか、それを述べていきます。これは、あくまでも著作中のソクラテスが想像上で作った架空の国家の大雑把な成り行きです。
1、優秀者(王者)支配制
これは先ほど出てきた神的な金を持つ守護者であり、また哲学的な資質や素養がありその中でも最年長の者を支配者(王)とする国制。守護者は土地や家などの私有財産を持つことは許されず、共同生活に必要な分だけの糧で生活しなければならないとされる。
個人においては、魂の最も優れた部分(理知的な部分)が残りの部分(気概的な部分と欲望的な部分)を支配している状態でありこれが最も善く正しい人間の在り方であるとされる。
2、名誉支配制
これは神から与えられる金、銀、銅・鉄を持つ種族の監視がおろそかになり、その分別が曖昧になると金を持つ者が銀や銅・鉄を持つ者として扱われたり、銀や銅・鉄を持つ者が金を持つ者として扱われたりし、結果的にあらゆる種族がごちゃ混ぜにされる状態となる。
そうなると不調和、不協和があらゆるところで生じ、銅・鉄の種族は土地や財産の方へと引っ張られ、金や銀の種族は高貴な魂によって元の優れた国制を維持しようとする。
そして争いが生じることになり、妥協策として土地を分配して私有化することや財産を私有することを認め、金や銀の種族はこの国制の在り方の監視に回ることになる。
この国制は、優秀者支配制と寡頭制の中間的なものであり、支配者を尊敬するという意志は残っているものの、この国制の支配者は私有財産を持ったために徳に対して純粋な者ではなくなり、知恵(理知)への配慮が薄れた結果体育を以前よりも尊重し争いに興味を持つようになり、気概的な人間を尊重するようになる。そして、勝利や名誉を愛する国制になるといいます。
個人においては、理知的な部分ではなく気概的な部分が他の2つの部分(理知的な部分、欲望的な部分)を支配する状態であり、徳の守り手である理知的な部分が負け、しかし僅かな徳によって欲望的な部分に完全に引っ張られるわけでもなく、その中間(気概的な部分)が力を持つ状態になる。
3、寡頭制(財産、富裕者支配制)
人々が私有財産を持ち始めるようになるとどんどん金銭欲の強い人間が増えていき、多くの人が過度に富や金を尊重するようになり、その結果徳への尊重は薄れていく。
尊重されるものは金ということになった時、気概的だった人々も金儲けに走ることになる。その結果金の力によって、金を持つ人は支配的な地位につき、貧乏人は支配されるようになる。また、金持ちが法を好きに曲げたり、また思うままの役職や仕事につき自然的素質は無視され色々なものに手を出すようになる。このような者や国制に自然本来の素質に従った仕事をすることは達成不可能となる。
よって、この国家に存在する支配者というのは支配する能力を持ち合わせている人ではなく単なる浪費家ということになり、そのような支配に反感を持つ人は当然多くなり、国家に悪だくみを持つ者も次第に多くなる。そして国制の不調和によって害悪は徐々に拡がっていくといいます。
個人としては、欲望的な部分が他の2つの部分(理知的な部分と気概的な部分)を支配することになり、理知的な部分には金儲けの工夫の事だけを考えさせ、気概的な部分には富を持つことが勝利であり名誉なのだと言い聞かせる。よって、金銭を愛する寡頭的な個人が生まれる。
4、民主制
できるだけ金持ちにならなければならないという目的が善として強く力を持ち、人は金を持つと肉体的にも精神的にも軟弱になり、大人も子供も苦痛や快楽に対する抵抗力がなくなっていき徳への配慮も著しく低下していく。
支配者は何でも金の力で解決しようとするあまり怠惰で放埓になっていき、太っていたり覇気や気力が乏しく見えたりと非常に弱そうになる。その姿を見て貧しい人々は反乱や革命を企む者が次第に多くなり、この反乱や革命が実際に成功したとき民主制は成立する。
この国制は被支配者が支配から解放された最も自由なものであり、様々な生き方が自由に放任されるため多様なもので溢れあらゆる国制の中で一番美しいとされる。善も悪も曖昧であり、あらゆることに対して寛容的な国家。立派な人間はほとんど存在しえず、国家に好意を示し迎合さえすればそれだけで愛着を持たれる。
個人としては、自由奔放な国家制度によって個人の中には真実の言論ではなく思惑的でその時その時であれこれと変わるような言論が占拠し、魂の在り方もその時々であれこれと変わるようになる。その結果、ある時には学問に耽ったり、ある時は体に気遣ってダイエットをしてみたり、ある時は体を鍛え上げてみたりなど、変容性が激しく一貫したものが無いまさに多様化した個人となる。
5、僭主独裁制
飽くことの無い欲望のままに行動し、怠惰や放埓の限りを尽くすことを「自由」という名目で許した結果、その国家には徳も価値規範も金も無くなり、しかしまだ満たされない欲望だけは残っている。このような国家に存在する多くの人は自己に歯止めを利かすものが何も存在しないため、欲を満たすためにあらゆる犯罪が平然と起こり犯罪や嘘が蔓延する。
この不平不満の溢れる国制の中、国家を変えてくれるであろう、国民に好感を示しまた勇敢に見える者が現れた時、大衆はこの人に導かれるようになる。この指導者も上辺だけ好感を持たれるようにし、実情は自分の欲求を満たすためだけに他人を従えようとする徳や規範を何一つ持たない愚かな人間である。
その結果愚かな国家は愚かな指導者によってさらに悪く導かれ、あらゆる害悪が蔓延した、存在する国制の内の最悪の国制と呼ばれる僭主独裁制が成立するといいます。
個人としては、欲望的な部分が専制君主のようになり他の2つの部分を服従させる状態となる。徳や規範が何も存在せず、為すべきことは欲望的部分が告げる「欲望を満たし快楽を得る」ことのみであり、それを達成せるためにはどんな手段を使っても構わない、ためらわない人間となる。
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