プラトン著『国家』 正義について10 (真実の生き方)

ソクラテス(プラトン著)

真実の生き方

魂の3部分には、「理知的な部分」「気概的な部分」「欲望的な部分」があるとしていました。

そして、「理知的な部分」は何かを学び知る、知を求める。「気概的な部分」は勝利や名誉を求める。「欲望的な部分」はあらゆる欲望、欲求による快楽を強く求め大方金銭によってそれは達成される。「欲望的な部分」は他の2つの部分に比べてとても多様的であり魂の中で非常に大きな割合を占めるといいます。

言い換えると、「知を愛する部分」「勝利を愛する部分」「利得・利益を愛する部分」となる。

これに対応する3種類の人間がいるとしたら、その人間は各々何よりも知を賞賛しまた何よりも勝利や名誉を賞賛しまた富を賞賛するし他のことは取るに足りないことだと考えていることになる。では何を尊重する生き方が(誰の生き方が)快楽苦痛の面でも、美しさや醜さの面でも、善や悪の面でも真実な生き方なのか。

物事が正しく判断されるのは、経験・思慮・言論(理)の力によってであるとソクラテスはいいます。一般的に正誤の判断は、自らの経験によって判断し、思考を巡らして判断し、言葉を使って判断すると思います。

では、この3人の内快楽に経験のある人はと言えば、小さい頃から人間は嫌でもその状況(快楽の中)に置かれるため3人とも当てはまると思います。

では、純粋に何かを学び知ることの楽しさ(快楽)を経験できるのは、勝利や名誉を愛する人利得・利益を愛する人ではより少なく無いに等しいが知を愛する人にはそれができる。よって、知を愛する人は他の2人が経験できない快楽を経験できるため、経験値として優位だと考えられるといいます。

名誉を勝ち取る経験は、利得・利益を愛する人金持ち(富者)になることによって、勝利を愛する人勇者になることによって、知を愛する人においては知者になることによってそれは達成される。よって3人とも名誉を勝ち取る経験の機会はある。

しかし、真実を観ることの楽しさ知を愛する人にしか分からず、この快楽は他の快楽とは性質が違い苦痛が伴うことが無くただ純粋に快楽のみを与えてくれ、さらに知識という有益なものまで与えてくれる。

よって、以上より経験に関しては知を愛する人が優れた判定者であり、また思慮においても知識に基づいて最も正しく判断できるのは知を愛する人だと言える。

では最後の言論においてはどうだろう。これは知を愛する人(知者)が用いることの多い道具のようなものだと思われる。よって、言論(理)における最もすぐれた判定者も3人の内で知を愛する人だと考えられるといいます。

では知を愛する人の生活が真実の生き方だということが結果として出てきたし、真実の生き方は善い(真実、純粋の)快楽で満たされた最も快いものであるということになった。

逆にそれ以外の生き方は色々な苦痛が混じり合った真実の快楽の影のようなものであり、あらゆる快楽を一緒に求めるため快楽の総量としては大きいがその分苦痛も多く混じり合っているといいます。

快楽と苦痛と静止状態

では、快楽苦痛とは何なのか。

快楽苦痛は反対関係のものであり、快くも無く苦しくも無い状態静止状態)が存在するとします。

病気に侵され苦痛を感じている時、「苦しみの無い状態はどんなに幸せなことだったか、こんなことだったらもっと健康に気をつかっていればよかった」という後悔の声を上げる人が結構いると思います。

ではこの言葉はどんなことを表しているのか。

人は苦痛を感じている時、あらゆる快楽に自らが引っ張られていたことを後悔し、苦しみのない状態静止状態)を快楽よりも切望する。つまり、自分が苦痛の最中に陥った時、快楽では無く快楽苦痛の中庸静止状態)を望んでいたことに気付く。

しかし、快楽を感じている時、人はその快楽が無くなり静止状態に戻る時にも苦痛を感じる。例えば、おいしい食べ物を食べている時その食べ物を突然取り上げられたら人は苦痛を感じるだろうし、遊園地で遊んでいる時突然何かのトラブルでその遊園地が閉園になったら小さい子は苦痛を感じて泣き始めると思う。

このことから、苦痛を感じている人にとっては静止状態快でも苦でも無い状態)がになったり、快楽を感じている人にとっては静止状態快でも苦でも無い状態)が苦痛になってしまうという、とてもおかしな結論になる。

快楽苦痛に関してソクラテスは言います。

「してみるとそれは、実際にそうであるのではく、ただそのように見えるだけなのだ」とぼくは言った、「すなわち、静止状態がそのときどきによって、苦と比べて対比されると快いことに見え、快と比べて対比されると苦しいことに見えるというだけであって、こうした見かけのうちには、快楽の真実性という観点からみて何ら健全なものはなく、一種のまやかしにすぎぬということになる」

プラトン著 藤沢令夫訳『国家(下)』 (岩波文庫、1979年6月18日第1刷発行・2008年12月4日第45刷発行・2021年5月6日第60刷発行

快楽苦痛個々の魂の動きによってそう見えるだけであって、まやかしや幻のようなものなのかもしれないということでした。

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