プラトン著『国家』 正義について12 終わり (真似について)

ソクラテス(プラトン著)

真似について

ここでは寝椅子の例が出てくる。

寝椅子には大きく分けると、寝椅子の実相寝椅子の実物寝椅子の似像があり、実相は神が作ったのもであり、実物は職人が作ったものであり、似像は画家が描いたものであるとし、後者になればなるほど真実在から離れていくといいます。

では、実相(イデア)の制作者はであり、実相に基づいて実際にこの世に存在する寝椅子を作成するのが職人であり、この職人が作った寝椅子を真似て寝椅子に見えるもの(特定の角度のみ)を描写するのが画家である。

画家はほんのわずかな部分しか見えてなくても分かっていなくても全体を分かっているように描くことができる。真実から離れること3番目の画家は、真実(在るもの)を分かっていなくても真実のようなもの(そう見えるもの)さえ真似ることができれば全てを分かっている神のような存在に自分を見せることができる。そして、絵によって真似るのが画家であり、言葉によって真似るのが作家(詩人)であるといいます。

ではもっと具体的な例として、次に手綱と馬銜(馬を操るための道具)の例が出てきます。

ここでの目的は「馬を上手く操ること」であり、手綱や馬銜を使って実際に馬を操る人この技術に最も通じている人であり、その技術者に仕え実際の使い勝手の善し悪しを聞いて馬具の制作に取り掛かる職人乗馬人の次にこの技術に通じている人と言える。

では、画家作家の立ち位置はと言えば、その技術に関することは全く知らずにただそう見えるものだけを描くことしかできない。そしてこの人たちが影響を及ぼす部分といえば人間の内の真実から離れた部分、いわゆる欲望的な部分であり、物語は楽しくさせたり悲しくさせたり恐怖させたりなどあらゆる感情を作り出すことができ、その分人は感情や意志がころころと変わる克己心の無い軟弱な人々へと変化してしまう恐れがあるといいます。

よって善く治められた理想的な国家を建設するには、真似事に関して特に影響力の強い作家(この時代では、今で言うサブカルチャー)を非常に注意深く取り扱わなければならないということでした。

悪について

一般的なとは滅ぼしたり損なったりするようなものであり、逆にとは保全したり益したりするようなものであるといいます。

この世に存在するとしては、身体の悪として病気があり、食べ物の悪としてはカビがあり、木材には腐朽があり、鉄や銅にとってはがあるとし、そして各々のものはその固有の悪によって滅ぼされるといいます。

例えば、身体は「病気」という身体における固有の害悪によって滅ぼされる。悪い食べ物(腐っていたり、健康に悪い食べ物)によって病気になることもあるのではないかという人も、それは食べ物の害悪によって人間が直接死に至ることは有り得ず、その要因によって身体の害悪が引き起こされその固有の害悪によって身体は滅ぼされると考えなければならないと。

では、とは何なのか。それは、不正、放埓、臆病、無知であるといいます。

身体や食べ物などは固有の害悪によって徐々に腐敗が進み、その終極は分解消滅である。では、の場合はどうだろうか。

この世でどんな不正を犯そうが魂は腐敗することもなく消滅することなくその存在を保つ。ではそのような性質から考えて、魂はこの生においても死んでからも永遠に存在するものなのではないか。そして、永遠に存在するであろう魂を余計なことに手を出さずに健全で純粋なままにすることこれが正義であり、それは評判のためのものだけではなくそれ自体最善なものであり、この有益さはこの短いちっぽけな生においてもその先の永遠の生においてはなお一層不正がもたらす有益さとは比べものにならないような有益さをもたらすことは必然なのではないかということでした。

この後は、実際に死後の世界に訪れた「エル」という人の物語を語り、正義についての対話は幕を閉じます。

おわり

この著作を読んでから現代の世の中に目を向けてみると、現代はソクラテスが理想とした国家からはかけ離れたものが数多く存在していると感じました。

著作としては、疑問が残る内容も所々ありますが大方納得できる部分も多いし、また結論への持って行き方が非常に論理的で分かりやすく、現代には無いような価値規範に基づく重厚的な議論が繰り広げられていました。

科学技術が著しく進歩していく一方で人間は効率化によりどんどん退化しているように僕は感じます。効率を求めるべき部分と求めてはいけない部分が明確に存在していて、これについての判断力が今後著しく必要になってくると感じ、この判断力を軽視すれば人間の未来はとても暗いものになってしまうのではないかと感じますし、極論人間はいらなくなると思います。

古代は現代に比べて科学技術が著しく低いことは確かだと思います。しかし、古代の人の人間力は現代人とは比べ物にならないほど高いと感じ、人間は徐々に衰退していっているのだと思わされるほど、古典からは現代には無い人間力が伝わってきます。

プラトンまたはアリストテレスの著作を読んでいても、その論理的な展開力に驚嘆することが多く、システムに依存する現代人よりも人間的な性能は遥かに高く感じます。

「国家」という著作は、「正義について」という大胆でとても抽象的な題目だけれども、中身はとても論理的であり現代にも通じる参考にしなければならないことが沢山書かれていて、昔の人が書いた本とは思えないような内容だった。

やはり真実は今も昔も、またこの先も不動の在り方をし続ける、また、いつでもどこでも変わらないもの、それが真実なんだと思わされました。

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