「死」とは肉体と魂の分離に他ならない
ソクラテスの考える「死」とは、魂が肉体から分離して「魂のみになる」ことだといいます。
そのため、哲学者は「魂のみ」に配慮する者であり、生成・消滅の性質ををもつ肉体と同じ性質を持つもの(食べ物、飲み物、衣服、装飾品、性の快楽など)には価値を見出さず、魂の性質である永遠・不滅でありそして目には見えない性質であるもの(正しさ、勇気、美しさ、節制、知、徳、善など)に価値を見出すものであると言います。
そして、大半の人は哲学者ではないため、強い欲を抱かせる「肉体の性質を持つもの」に執着し、「人は肉体のみで存在している」と信じているため、著しく少数派の「魂の存在を信じ、それのみに配慮する」哲学者が相対的に、または一般的に「生きる意欲が無い」、「死んでいる状態に等しい」といわれます。
「魂」は肉体と共同するべきか、それとも肉体を疎むべきか
肉体にそなわるものとして、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などがありますが、この中で視覚と聴覚つまり「見ること」、「聞くこと」が、肉体にそなわる他の感覚(嗅覚、触覚など)よりも優れているとされています。
魂と肉体が共同して何かをやるときには、肉体の感覚や欲望というものはかなり強い力を持つため、魂はいつも肉体に欺かれてしまうと、
そのため、真実在をよく探求できるのは、肉体による煩わしさやしがらみ(痛み、苦しみ、淫欲、ストレスなど)が何もない状態、つまり魂が肉体から完全に離れて思考している時だと、
よって、魂は肉体を疎む、侮蔑するべきだといいます。
(*なぜ真実在(真実)を求めるのかと言いますと、プラトン哲学では魂は永遠・不滅そして目には見えないという「真実」と性質が似たものであるから、「目には見えないもの・魂をよりどころとするもの」(正しさ、勇気、美しさ、節制、知、徳、善)の相(イデア)、つまり「正しさ」そのものとは何なのか、「勇気」そのものとは何なのかなど、そういったことを探求することで、魂つまり自分とは何なのかという真実が見えてくるのではないか、その真実を知り、どう生きることが正しいのか、人間にとって一番重要な「どう生きるべきか」ということを探求するのが目的です。)
そして全ての真実は肉体(視覚、聴覚など)でとらえているのではなく、思考・思惟によってとらえているのであり、例えば、大きい人と小さい人がいた時、視覚は「大きさを持つ」人を物体として感覚しているにすぎず、「大きさ」そのものをとらえているのは思考つまり魂であり、「大きさそのもの」、「大きさの相(イデア)」を理解し、相対的に「大きい」あるいは「小さい」という情報を物体に付け加えているのは魂である。
つまり、全ての真実・真理(ロゴス)を理解するのは「魂のみ」であると。
そして、あらゆる「そのもの」、「相(イデア)」を本当に理解するのは、人間である間は有り得ない、つまり「魂」と「肉体」が混合している間は不可能であり、それが可能だとすれば、魂のみとなった時、さらに言えば、肉体に汚されずに「純粋な魂」そのもので肉体から解放されたときであるとし、
そして、疎むべき肉体からも離れられ、「知恵そのもの」を獲得し、あらゆる相(イデア)、真理(ロゴス)を再び想い出せるかもしれないこの「死」というものを、哲学者(思慮深い者)が喜んで受け入れない訳がないだろう、普段望んでいるもの(死)が獲得できるまさにその時になって恐怖に怯えるというのは理にかなわない、真の哲学者ではない、つまり肉体を愛している者にすぎないといいます。
「知恵」という貨幣の有意性
人間は、欲望へと魂を導く「肉体」を持つため「放縦」から逃れることはできない。この世にはあらゆる快楽があり、人々はみんないつも何かしらの快楽に侵されていると。
つまり、「放縦」と対をなす「節制」は、ある快楽によって別の快楽を抑えている状態であるといえ、そのため自分が侵される快楽を少しでも良質なものとしなければならない。すなわち、そこには「知恵」が伴わなければならないと。
人は、何かしらの「状態」であることで別の「状態」を抑えているのであり、これらの「状態」を貨幣に置き換えると、ある快楽を別の快楽に交換し、ある苦痛を別の苦痛に交換し、ある恐怖を別の恐怖に交換していると。
(*この「起伏の激しい人間の状態」をつくりだすものを「情念」という)
そして、唯一の正しい貨幣は「知恵」であるといい、知恵という貨幣そのもの、あるいは知恵という貨幣と共にあらゆるものが交換されるならば、「交換」という等価なもの同士の受け渡しが求められることにおいて、「知恵」と等価なものすなわち、あらゆる負の情念から解放された、真の節制、正義、勇気などが享受できると、
つまり、「知恵」こそ秘儀であるといいます。
この秘儀を、ソクラテスやその他の人々に授けた、この時代よりももっと昔の人(賢者)はこんなことを言っていたらしいです。
秘儀も受けず浄められもせずにハデスの国に到る者は、泥の中に横たわるだろう。
プラトン著 岩田靖夫訳『パイドン』 (岩波文庫、1998年2月16日第1刷発行・2004年1月15日第7刷発行
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