人が学ぶとは想い出していることなのか
前提として、プラトン哲学では「肉体と魂は別物である」ということを受け入れ、肉体は生成・消滅の性質を持っており、魂は永遠・不滅の性質を持っていると考えられています。
そして、肉体にとって「善いもの」・有益なものとして、「健康」、「強さ」、「美しさ」、「財産」などがあり、魂にとって「善いもの」・有益なものとして、「勇気」、「節制」、「正義」「物わかりの良さ」、「物覚えの良さ」、「度量の大きさ」などがあるとされます。
そして、肉体は魂の容器であり、魂は肉体の中に入りパイロットのように肉体を動かしているもの、と考えれば分かりやすいと思います。
また、「人間」とはこの2つ(肉体と魂)から構成されている生き物であり、魂はさらに3つの部分(理知的な部分、欲望的な部分、気概的な部分)に分かれてると考えられています。
以上を踏まえまして、この著書で述べられていることは、魂が永遠・不滅のものなら、魂はもう全てを知っているはずであり、今まで「学ぶ」と呼ばれてきたものは、新しい知識を頭に入れているのではなく、外からの感覚によって様々なことを「想い出している」に他ならない、ということです。
そして、この中でソクラテスはメノンという青年と対話しているのですが、そのメノンの召使いに向かって「正方形の面積の性質」を用いて実際に召使いが今まで知らなかったことを、教えずに質問によって想い出させることに成功し、「正しい思惑」が内在していることを証明しました。
*ここの証明の詳細は、複雑で上手く書けないので省略します。
知識と正しい思惑
「正しい思惑」は「知識」に、有益さでは全く引けを取らないものです。
例えば、どこかの目的地へ訪れる時、そこへ行く道を知っている者と知らない者がいたとして、知っている者は迷い無くそこへ到着できる。
しかし、知らない者も当てずっぽうで難なくそこに到着できたとしたら、「目的地へ到着する」という有益さにおいて、「的を得た当てずっぽう」いわゆる「正しい思惑」は「知識」となんら変わることは無いでしょう。
しかし、「知識」が「正しい思惑」と区別され、なおかつ高く評価される点、それは「知識」は「常に正しい、有益」だが「正しい思惑」はそれが自分に内在している間だけ有益だという点です。
そのため、それが逃げないように、「正しい思惑」の原因を調べ自分にしっかりと縛り付ける。その、「正しい思惑」に「根拠」を付加させたものが「知識」であり、永続的なものになるということです。
「知識」とは、初めから魂に内在する「正しい思惑」を想起し、しっかりと把握しなおしたものであるという結論にいたりました。
そして、魂はもう全てを学んでしまっているのなら、自分に内在するあらゆる「正しい思惑」を想起すべきであり、自分が無知である(知識が乏しい)と自覚し、「正しい思惑」を探求し、そこに「根拠」を付加し永続的なものに近い、いわゆる「知識」とすることに励むべきだ、とソクラテスは強く言っています。
以下に、それが述べられている部分を抜粋し乗っけておきます。
ひとが何かを知らない場合に、それを探求しなければならないと思うほうが、知らないものは発見することもできなければ、探求すべきでもないと思うよりも、われわれはよりすぐれた者になり、より勇気づけられて、なまけごころが少なくなるだろう
プラトン著 藤沢令夫訳『メノン』 (岩波文庫、1994年10月17日第1刷発行・2007年8月24日第15刷発行)
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