はじめに
この本における主な登場人物は、ソクラテス、ゴルギアス、ポロス、カルリクレスです。
そして、この主な登場人物4人の「弁論術」についての論争がこの本の内容で、ざっくり分けると、「弁論術」の効能について否定的な立場のソクラテスと、肯定的な立場のゴルギアス(ソフィストという教育者の中で特に人気を博していた人)、ポロス、カルリクレスの対話が描かれています。
この本の中で対話される大まかな題目は以下のものです。
「弁論術」とはどのような技術なのか
まず「弁論術」とは何を目的としたどのような技術なのかということを、ソクラテスは、「弁論術」に長けていることで非常に有名なゴルギアスにたずねます。
例えば、「医術」とは何を目的としたどのような技術なのかと問われれば、健康を目的とした病人を養生する技術ということが明確に定義できます。
では「弁論術」とは何なのか。
まず、技術全体の中で、「行為・行動」をともなうもの、あるいは「言論」をともなうもの、またはこの両方をともなうものがあり、各々の技術によってこの割合がばらばらだといいます。
この本に出てくるものだと、「行為・行動」の割合が多い技術として、「絵を描く技術」あるいは「彫刻の技術」があり、「言論」の割合の多い技術として、「数論の技術」をあげています。
これらを踏まえてゴルギアスはいいます。「弁論術」とは、人々を説得することを目的とした、人間にとって一番重要かつ一番善いものを「言論」を用いて示す技術であるといいます。
この抽象的な返答に対して、ソクラテスはもう一度問います。
「どのような、また何に対しての説得なのか、また一番重要かつ一番善いものとは何なのか。」
例えば、「数論の技術」いわゆる「数学」にしても、「数について言論の上で説得させるものであり、数がどれだけの大きさになるのかを理解させるもの」だと定義できます。
では「弁論術」とは、何に対しての説得なのか、また一番重要かつ一番善いものとは何なのか。
ゴルギアスは答えます。
「正しさ」あるいは「不正」についての説得であり、人生において一番重要かつ一番善いものは「正、不正」についての知識、いわゆる「正義」に関する知識であると。
「正」、「不正」の教育者における矛盾
「弁論術」が「正」、「不正」の説得についての技術ならば、この技術を身に着けた人は「正義」についての知識を持つことに成功した人だと言え(自分が知らないことについて本質的に説得させることは不可能だから)、今後「弁論術」を学んだ人は不正を犯すことはありえない。しかし、不正を犯すことは多々ある。
しかし、これは有り得ないことだソクラテスはいいます。
「正しさ」は「善いもの」であり、「善いもの」なら「有益なもの」であるはず、
「不正」は「悪いもの」であり、「悪いもの」なら「有害なもの」なもののはず。
そして、人は「有害なもの」をあえて行う人はおらず、自分にとって「有害なもの」いわゆる「不正」を行うのは、「有害なもの」を「有益なもの」いわゆる「正しさ」と勘違いしてしまっているためだとソクラテスはいいます。
つまり、本質的・真実の「有益さ」をもたらすのは「正義」であり、本質的・真実の「有害さ」をもたらすのは「不正」である。
(そして、どこまでいっても人間というのはあまりにも無知なために、本質的・真実の「有益さ」をもたらす「正義」やその逆の「不正」を思惑でしか判断できず、そのためこの知識に関する見解はバラバラである。)
例えば、医術を学んだ人は医術を学ぶ前よりも医術の心得のある人にならないのか、数学を学んだ人は数学を学ぶ前よりも数学の心得のある人にならないのか。
そんなことはなく、ある知識を学んだ人はその知識に関する事柄に関して心得のある者になる。
「弁論術」が本当に「正義」についての知識ならば、教育者はこの知識に関して教育し、教育者から学んだ「正義」に関して心得をもつようになった教育された者は「不正」を犯すことはありえない(「正しさ」に関して教育された者は、本質的な「正しさ」は「有益さ」をもたらすため、「不正」による本質的な「有害さ」は望まないため)。
しかしゴルギアスは、「弁論術」を学んだ者が不正を犯すのは罪を犯した本人の責任であり、それを教えた教育者にその責任は無いとし、この点が矛盾しているとソクラテスは指摘します。
「知識」を目指す説得と「信じ込ませる」を目指す説得
例えば、先ほど出てきた「数論の技術」とは、奇数や偶数、少数、分数など、様々な数に関する知識やその相互関係を理論的に理解するものであり、加算に関する知識のある人間だったら、「1+1=3」であると言われても、この誤りに気付けると思います。
しかし、加算に関する知識のない人間にだったら、「1+1=3」であると信じ込ませることができると思います。
そして、前者を「知識」による説得を受けた人、後者を「信じ込ませられた人」ということができ、ゴルギアスはこの両者の説得の仕方に構わず、ただ説得のみを目的としているのが「弁論術」であるといっています。
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