これまで:常に頑張っていて疲れがとれない― 老子が語る「力を抜けない人生」
自由だと思うほど不自由になるーースピノザが暴いた「自己責任社会」の錯覚
毎日やるべきようなことは、それなりにこなして生きている。仕事もしているし、社会のルールやマナーも守っている。大きな不幸があるわけでもない。
それなのに、ふとした時に湧いてくる感覚がある。「生きているとは、これでいいのか」と。
ハイデガーの哲学は、この言葉では簡単に表せないような違和感から始まっています。
僕たちは「人生を自分で生きている」と思い込まされすぎている。ハイデガーは人間のあり方を現存在(ダーザイン)と呼びました。
現存在とは、ただ存在しているものではなく、「どう生きるのかを気にしてしまう存在」です。問題は、僕たちがその生を本当に自分で引き受けているのかどうかです。

マルティン・ハイデガー(1889–1976)は、20世紀最大級の哲学者の一人で、「存在とは何か?」という根源的な問いを現代に復活させた人物です。有名な著作である「存在と時間」は現代哲学・文学・心理学・芸術にまで影響を与えています。
世人(ダス・マン)という見えない支配
ハイデガーは僕たちの日常的な生き方を「世人」と呼びました。
世人とは、特定の誰かではありません。
・周りがそうしているから
・普通はこうだから
・常識的に考えて
こうした「空気」そのものです。
僕たちは日々、自分で何かを決めているつもりでも、内情は世人の期待に沿って生きているのではないでしょうか。
・正社員であることが当たり前
・絶え間なく忙しいのが普通
・人付き合いで悩むのは自分が悪い
こうして多くの人の人生は、無難で退屈な「平均値」へと静かに流されていく。
間違いとはいえないのに、虚しい理由
ここで重要なのは、世人が間違っているわけではないということです。
・ルールを守る
・自分に与えられた役割を果たす
・社会に上手く適用する
それ自体はとても合理的で効率的な判断です。それでも人は、深いところでこの生に虚しさを覚えてしまう。
なぜなら、その生き方は「自分の人生は自分のものだという感覚」を一度も引き受けさせてくれないからだといいます。
不安(アンガスト)
ハイデガーは、虚しさの正体を「不安」(アンガスト)と呼びました。この不安とは、ある特定のものを恐れる感情ではありません。
・何を恐れているのか分からない
・何だか落ち着かない
・自分の世界に安心できない
これらのように、「特定の何か」を恐れるのではなく、「よくわからないものにもやもやする感覚」を、不安と呼びました。
しかし、この不安は人生が崩れかけているサインではなく、むしろ逆だといいます。
不安とは、世人の価値観が剥がれ落ち、「自分の生」が露になった瞬間に生まれる感覚であるといいます。
不安はなぜ避けられるべきものだと思われているのか
現代社会では、不安はすぐに処理されようとします。
・余計なことを考えられないくらい忙しくする
・正解を探し解決しようとする
・自己啓発に頼ろうとする
しかしハイデガーは、それは生き方をまた世人にゆだね直す行為だと批判します。
不安は、解消し処理しなければいけないものではない。
不安とは、「この生をどう引き受けて生きていくかを問い直すきっかけ」であり、大切な問いが立ち上がった証拠なのです。
本来的に生きるとは、何か
ハイデガーは、世人から完全に抜け出せとはいいません。社会から降りることも、孤立を肯定することも要求しない。
ハイデガーのいう「本来的な生」とは、世人の価値観の中に生きながらも、それが絶対的なものではないと分かって生きることです。
・世人の中での成功や正解が、自分にとっての成功や正解だとは限らない
・逆に、世人の中で失敗や間違いだとされることが、自分の人生の否定ではない
この距離感が、現代社会で繊細で誠実な人が生きていくための、実存の自由なのだといいます。
周りから要求されるものが、いつも全て正しいとは限りません。
日本の戦後はGHQの占拠により、天皇を崇拝していた天皇主権から民主主義へころっと変わりました。約1400年もの間信じられていた天動説は、コペルニクスらによってころっと変わりました。
これらの話は少し大き過ぎますが、周りが正しいと言っていても、実はそれは大したものではなかったという歴史的事実は数多くあります。
多くの人は世人の中で生きていくしかない、しかしそこには「大切なもの」と「大切そうでしかないもの」が複雑に絡み合っているということを忘れてはいけないと思います。


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