「ちゃんと生きなければいけない」。
この言葉に、僕たちはいつから縛られるようになったのだろう。
努力しない人間には価値がない。
結果がでなければ意味がない。
成長しないと置いていかれる。
こうした感覚に疲れ切ったとき、老子の思想は一見、あまりにも反対のことを語りかけてくれます。
老子はいいます。
「無為にして、なさざるなし」
何もしないのに、すべてが成る──
これは現代人の人生観と真っ向から衝突する言葉です。
考えるというより感じる哲学。思考という圧力から解放してくれる老子の言葉は、次々と迫ってくる人生の困難を良い意味でどうでもいいと思わせてくれます。

老子(紀元前6世紀ごろ)は、古代中国の思想家で、道家思想の祖とされる人物です。「道」や「無為自然」などの思想で東洋哲学に決定的な影響を与えました。
なぜ、頑張るほど苦しくなるのか
人生の悩みの多くは、「やりすぎ」から生まれる。老子はそれを”人為(じんい)”と呼びました。
人為とは、本来は自然に起こるはずのことを無理に操作しようとすること。
評価されようとする努力、意味を証明しようとする生き方、正解を探し続ける姿勢。
それらは一見、前向きですが、老子から見れば「道」から外れています。
「為せば為すほど、遠ざかる」
努力そのものが悪いわけではない。努力にしがみつく心が、人生を苦しくするといいます。
無為とは「何もしない」ことではない
老子の無為は、怠惰ではない。それは「流れに逆らわない」という態度です。
川の流れに身を任せるように、自分を世界の中心に置かない生き方。
・認められなくても、自分は壊れない
・意味が見えなくても、人生はただ続いていく
・役に立たなくても、存在は変わらない
老子は、人が苦しむ理由をよく知っていました。それは「自分で自分の世界を支配できる」という幻想を抱くことによって生じます。
支配しようとも、支配されようともしなくていい。ただ、自然な感情の流れに身を任せて、一日一日が過ぎ去るのを感じていられれば、それだけで生きていることです。
「根本的で大切なこと」をいつの間にか忘れてしまっている現代人に、老子の言葉は刺さります。
役に立たない自分で、生きていい
老子の思想は、現代社会で最も忌避される価値を肯定します。
「弱いもの」
「効率的、合理的でないもの」
「役に立たないもの」
「柔よく剛を制す」という言葉があります。
強くあろうとするほど、折れやすい。正しさを握るほど、世界は敵になる。人生に悩むとき、必要なのは答えではない。力を抜く場所です。
人間は本来柔らかいものです。力が入っている時ほど本来の力を発揮できないことが多々あります。
老子は、解決策を与えない。代わりに、「そもそも悩まなくていい場所」を示します。
意味を探さなくていい人生
老子にとって、人生に意味を与えようとすること自体が、すでに不自然だといいます。
「道」は、意味を必要としない。生きることは、説明を求めない。
意味を失った世界で不安になる私たちに、老子は静かにこう告げます。
「足るを知れば、辱められず」
何者かにならなくてもいい。証明しなくてもいい。万物(道)の流れの中にいるだけで、人はすでに生きている。
それでも世界は続いていく。それが、老子の人生観です。
「正しい」や「間違い」、「楽しい」や「苦しい」、「善」や「悪」、それらを分けて考えて疲れるのはやめましょう。そういったものを分けて考える前の全て「道」の流れの中に自然に身を任せていればいい時もあります。
次回予告:自由だと思うほど不自由になるーースピノザが暴いた「自己責任社会」の錯覚
老子は言いました。流れに逆らうから、人は苦しくなると。
では、その「流れ」とは何なのか。
次回は、17世紀の哲学者スピノザを手がかりに、老子が直感で捉えたものを理論化していきます。
スピノザは、こう言いました。
人は自由だと思っているだけで、実は自由ではない
努力できない理由も、感情が乱れる理由も、人生が思い通りにいかない理由も、そこには「必然」があります。
それでも彼は、人は自由になれると言いました。それは、「何でもできる自由」ではない。
自分を責めなくて済む自由だ。



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