「買い物をしても満たされない、欲しいものを手に入れても虚しい。」現代の消費社会を生きる多くの人が、こうした感覚を覚えています。
新しい商品やサービスを買った直後は高揚感があるのに、それはすぐに薄れ、また新たな「欲しいようなもの」を探してしまう。この繰り返しに、疑問や疲れを覚えたことがあるのではないでしょうか。
結論から言えば、「消費をしても満たされないのは個人の問題ではない」。
それは、現代の消費社会そのものが、人をそのように動かす仕組みを持っているからです。個人の努力や意識の問題として片づけられがちですが、実際には社会構造の方に原因があります(個人は社会には勝てない)。
この構造を鋭く分析したのが、フランスの社会学者・哲学者ジャン・ボードリヤールです。
ジャン・ボードリヤール(1929-2007)は、消費社会やメディアが生み出す「虚構」が現実を凌駕する状況を分析した、ポストモダン(近代社会の否定)思想の代表的哲学者です。
彼によれば、僕たちは「モノ」そのものではなく、意味やイメージ、価値といった「記号」を消費していると指摘しました。
消費社会では、欲望は自然に生まれるものではなく外から作り出されるものとなり、そして終わりなく消費に駆り立てられ続けます。
消費社会では「欲望」そのものが作られている
僕たちはふつう、「欲しい」という気持ちは自分の内側から自然に生まれるものだと考えています。
しかし消費社会では、その前提自体が疑わしい。
広告、SNS、レビュー、ランキング。それらは単に商品を紹介しているのではなく、「欲しがるべきもの」を先に提示している。僕たちは欲望を選んでいるつもりでも、実際には選ばされていることが多い。
例えば、昨日まで特に気にもしていなかった商品が、誰かの投稿やおすすめ表示を見た瞬間、急に「必要なもの」に変わる。このとき生まれているのは、欠乏ではなく、演出された不足感です。
ボードリヤールが問題にしたのは、消費社会では「欲望が満たされないこと」ではなく、「欲望が絶えず生産され続けること」そのものでした。
私たちは「モノ」ではなく「意味」を消費している
なぜ、機能がほとんど変わらないのに、特定のブランドやデザインに強く惹かれるのでしょうか。
それは、僕たちが手に入れようとしているのがモノそのものではなく、それが持つ意味やイメージだからです。「洗練されている」「できる人に見える」「時代に合っている」そうした価値が、商品に重ね合わされている。
ボードリヤールは、この状態を「私たちはモノではなく、意味=記号を消費している」と表現しましました。重要なのは使えるかどうかではなく、それを持つ自分が他人やあるいは自分自身からどう見えるかなのです。
だが、意味はモノのように長くは持たない。流行が変われば色あせ、別の記号が現れれば置き換えられる。だから消費は、いつまでも終わらない。
なぜ消費は終わらず、空虚さが残るのか
意味を消費する以上、満足が長続きしないのは当然です。なぜなら、意味は使うたびに摩耗し、やがて効力を失うからです。
新しいものを手に入れた瞬間、それはすでに「次に古くなるもの」でもある。こうして、欲望 → 一時的な高揚 → 空虚 → 次の欲望という循環が作られる。
この空虚さは失敗ではない、むしろ、消費社会が正常に機能している証拠ですらある。満足してしまえば、消費は止まってしまうからです。
満たされない感覚は、あなたの欠陥ではない。それは、意味が消費され続ける社会に生きていることの副作用なのです。
ボードリヤールが見抜いた消費社会の本質
ボードリヤールが見抜いた消費社会の本質は、「それが人を満足させるための仕組みではない」ということです。
消費社会の目的は、僕たちの幸福でも充足でもない。「欲望を循環させ続けること」そのものが目的なのです。そのために、意味やイメージが商品に付与され、それが消費され、そしてすぐに古くなる。
ここで重要なのは、この仕組みが誰かの悪意によって作られたわけではない、ということです。
それは資本主義とメディア、テクノロジーが結びついた結果として、自然に成立してしまった構造。
だからこそ、消費しても満たされないことを「自分の未熟さ」や「意志の弱さ」として引き受けてしまう必要はないです。
ボードリヤールの思想は、個人の内面に押し付けられていた違和感を、社会の側へ引き戻す。
満たされないのは、あなたのせいではない
僕たちは満たされないとき、もっと努力しようとしたり、もっと賢く選ぼうとしたりする。だが、消費社会においてはそれさえも、終わりのないループにもう一度入り直すきっかけになります。
大切なのは、この社会がどのように欲望を作り、意味を消費させているのかを一歩引いた視点で見ることです。気づいたからといって、すぐに自由になれるわけではない。それでも、見え方は確実に変わります。
満たされない感覚は、失敗の証ではない。それは、今の社会をまともに生きている証拠でもあります。
次回予告:働いても意味を感じられない理由
私たちを空虚にするのは「消費」だけではない、「労働」もである。
労働はなぜ、これほどまでに虚しく感じられるのだろうか。
次回は、マルクスの「疎外」という概念を手がかりに、「働いても意味を感じられない理由」を考えます。
なぜ頑張っても手応えがなく、自分の時間が自分のものではないように感じるのか。



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